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東京高等裁判所 昭和42年(う)2382号 判決 1970年1月29日

控訴人 原審検察官

被告人 松本泰三

弁護人 重松蕃 外二名

検察官 石井春水

主文

原判決中起訴状記載の公訴事実第一、第二(各公務執行妨害の罪)、及び同第四(職務強要、傷害の罪)に関する部分を破棄する。

被告人を懲役四月に処する。

但し、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

原判決中起訴状記載の公訴事実第三(職務強要の罪)について無罪とする部分に対する控訴を棄却する。

原審並に当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、原審検察官太田武之作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人重松蕃、同新井章、同村井正義連名作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用し、これに対し当裁判所はつぎのとおり判断する。

所論は、原判決は本件公訴事実中第三の事実については犯罪の証明がないとの理由により、他の第一、第二、第四の各事実についてはいずれもその構成要件を認めながら(但し、第四の事実の連続二回の暴行のうち一回目の暴行、及び傷害の点については犯罪の証明がないとする)、実質的違法性がないとの理由によつて無罪の言渡しをしたが、これは重大な事実誤認を犯し、かつ、違法性の判断基準について法令の解釈適用を誤つた違法があり、右はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから到底破棄を免かれないと主張する。

よつて順次右所論につき当裁判所の判断を示すこととする。

第一点事実誤認の主張について

一、公訴事実第一関係

原判決によると、群馬県立沼田女子高等学校校長金井久七は群馬県教育委員会教育長田村遂から、昭和三九年一〇月二三日付同人発同県下各県立学校長宛の「県立学校職員の服務の監督について」と題する教第八七〇号通達(以下八七〇号通達と略称する)を同校教職員に示達すべき旨の命を受け、同時に県教育委員会当局から各学校における日々の不在教職員を全体教員数の五パーセント内に止めるべき旨の指示(以下五パーセント規制と略称する)があつたので、これらを同年一一月二日午前一一時三〇分から同校職員室において同校職員に一括示達することとし、同日午前八時二〇分頃から行われた職員朝会の席上、教頭小淵正己をして全職員に対し午前一一時三〇分に職員室に集合するよう指示させた。しかるに、同校教職員の属する群馬県立高等学校職員組合(以下高教組と略称する)沼田女子高校分会(以下沼女分会と略称する)では、八七〇号通達が勤務条件を変更するものであるとしてこれに反対し、同日午前一一時沼女分会執行部の役員四名位が校長室において金井校長に対し示達延期の交渉を行い、一方他の職員達は校長室隣の会議室に集合して分会会議を開き、右交渉の成り行きを見守つて指定時刻になつても職員室に移ろうとしなかつた。そこで一一時四〇分頃になり小淵教頭は校長に「時間になつたから示達しよう」と促し、立上つて校長室内北西隅にある会議室に通ずる扉の把手を右手で握つて半開きにし、身体を会議室にのり出すように前屈みになつて会議室内に向い「先生方時間が来ましたから職員室に集つて下さい」と指示したところ、教頭から約二メートル離れた会議室の黒板前で校長交渉の経過を報告していた被告人はこれを聞き、交渉の最中でもあり、自己が経過報告中でもあつたので、教頭の右言動を不当に思い、同人の面前に歩み寄つて「今話し合い中ではないですか」と言いながら、自分の肘を曲げたまま一回教頭の胸中央附近に右手手掌を押し当てて制止した、しかしこのために教頭の位置が移動させられたことはなく、多少上体が揺れた程度で暴行の程度としては突いたものとは観念できず、結局強くない程度に右手手掌を押し当て、その結果上体を多少揺れさせた程度に過ぎなかつた、と認定している。そして、原判決は進んで小淵教頭の指示行為は校長の八七〇号通達の示達を補佐するものであつて、その抽象的権限内の行為であるから、刑法第九五条第一項所定の適法な公務に属し、被告人の制止行為は教頭の上体を多少揺らした程度に過ぎないが、有形力の行使に変りがないとして刑法第九五条第一項の公務執行妨害罪の構成要件に該当することを認めた。

これに対する検察官の所論は、被告人の暴行の程度は原判示のように軽度のものではないと主張する。

よつて原審記録、並に当審における事実取調の結果を綜合して勘案するに、被告人の本件所為は原判決の認容するとおり小淵教頭に対する公務執行妨害罪を構成するものであることを優に肯認することができるのであるが、被告人の暴行の程度については原判決の認定は内輪に過ぎ、その真相と評価とを誤つたものと認めざるを得ない。

即ち、原審並に当審証人小淵正己の証言、原審並に当審の検証調書によると、昭和三九年一一月二日午前一一時一五分頃、小淵教頭が校長室に行くと持田亘久、生島尚子、黒岩勝の各教諭、並に被告人が校長室において校長に対し八七〇号通達の示達延期の交渉をしていたが、示達時刻である一一時三〇分頃になると持田、生島の二人を残し、他は会議室の方へ移つており、一一時四〇分頃になつたので小淵教頭は校長に対し「もう時間ですから示達しましよう」と促した後、校長室と会議室との間の扉の所へ行き、右手で把手を握つて半分扉を開け、会議室内の職員に向つて「全員職員室に集つて下さい」と指示したところ、それが終わるか終わらないうちに被告人からみぞおちの上胸の中央部附近を突かれ上体が後に傾いてたじろいだこと、突きかたは余り強くなかつたので転倒はしなかつたが、上体が後に動き明らかに突かれたと感じたこと、同人はいきなり突かれたので興奮し、会議室に向つて「これは命令です」と叫んだが、被告人の右暴行のため結局職員を会議室から職員室に移らせることができなかつたことを認めることができる。そして、右は原審証人井上欽司の「松本先生が教頭さんの腹部を突いた、それはいわゆる上から殴りつけるというようなことでなく、また下から突き上げるという格好でもないと思つた。どちらかというと水平に手を出した……」「それはやはり突くべくして突いた、押すべくして押したというか、そういうことだつたと思う」との証言によつてもその状況が彷彿とするのみならず、組合員たる証人塩田直衛の原審証言中「松本先生が小淵先生の方に歩み寄り軽く制止した、松本先生の手が小淵先生の胸に触れていたように思う」「小淵先生は何か抗議をうるさがるような格好で後退されたように記憶する」と証言し、これによつても控え目ではあるが被告人は単に手を挙げて制止したに過ぎないものでないことが窺われる。原判決が右被告人の行為を強くない程度に右手手掌を押し当てて制止したもので、突いたとは観念できないと判示したのは、暴行の程度を誤認したものであつて、前記のように小淵教頭の上体が後に動く程度に強く突いたというのが真相であり、当時の関係者の状況からして、暴力の行使など全く予想もしていなかつた教頭の意表を突いたものであつて、同人の公務の遂行を妨害するに十分な暴力であると言わなければならない。

もつとも、原審証人川崎浩輝、同備前島恒夫、同中島侑三らの証言によると、被告人は扉から上半身を出した教頭の所へ歩み寄り「未だ会議中じやないですか」と言つて、右手を挙げて制止した、右手の肘は曲つたままで手掌が触れるか触れない位で突き出すとか押すということはなかつたとの趣旨の供述をしているが、右供述自体からも制止行為なるものを極力控え目に表現しようとする意図が窺えるのみならず、原審証人竹内武平の証言によると、沼女分会では本件などを事実無根でやり通そうとして、組合員に箝口令を敷き、捜査官の取調に対しては協力を拒否し一切を知らないと供述することの方針を決めた事実が窺え、また原審証人上野勇の第一九回公判廷の証言によると、沼女分会では組合員が事情聴取のための捜査官の呼出状を受け取り、その措置につき協議した上、一括してこれを検察官に返戻したようなことが認められ、これらによつて組合員たる証人らが、同じ組合員である被告人の立場を有利にするため、如何に腐心したかが窺われるから、同人らの証言の証憑性は薄いと認めざるを得ない。

原判決は、小淵証言は同人が被告人と対立する管理者側の立場にあること、八七〇号通達の示達のことのみに傾注し興奮すらしていて、正確な状況の観察と、記憶がなされているか疑わしいと説示するが、小淵証言中同人自身が暴行を受けた時点に関する部分は終始一貫しており、しかも自分が直接肉体による感覚を以て体験した事実に関するものであるから容易に忘れうるものではなく、その証言は信用するに足ると言わなければならない。

以上のとおり、被告人の小淵教頭に加えた暴行の程度については、原判決は著しくこれを軽視し、その結果事実を誤認したものであり、その結果は後記するように判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検察官の論旨は理由があると言わなければならない。

二、公訴事実第二関係

原判決によると、被告人は前記のとおり、小淵教頭を校長室と会議室との間の扉附近で制止した後、金井校長が八七〇号通達の示達をすべく校長室内の自席から同室北側出入口方向に向つて歩いてくるのを認め、校長の方に近寄り、同室内にある衝立の南側出勤簿台中間の東前附近で校長と正対し「待つて下さい、話し合い中でしよう」と言うや、両肘を曲げたまま左手にノートを持ち、右手は開いて両手を前に出し、一回同人の胸部附近を押して同人を制止した、そのため校長は南方に一、二歩後退しやや身体の重心が後に傾いたが、同人の後方で咄嗟に肘を曲げたまま両手手掌を前に出して同人を支えようとした生島尚子教諭の手には届かなかつた。この時、校長の後から歩いてきた持田亘久教諭が校長の方を向いて、被告人と校長との間に割り込み、その場をとりなしたが、校長は被告人に対し「暴力だ」と叫び、出入口附近にいた小淵教頭に「証人になつて欲しい」と発言したと認定し、その制止行為の程度については、公訴事実第一の教頭に対する制止よりは強度であるが、被告人は校長を制止すべく押したものと認められ、更に校長の身体の傾き加減も左程ではなく、同人の直ぐ後で手を出した生島教諭のもとまで届かなかつた程であるとしながらも、校長は当局から示達方の指示を受けた八七〇号通達の示達をしようとしたものであるから、それは当然に校長の抽象的及び具体的権限内の職務行為であつて、刑法により保護されるべき公務であり、しかもこれに対し加えられた被告人の制止行為は公務の執行を妨害し得る程度の有形力の行使であると認められるから、刑法第九五条第一項の罪の構成要件に該当すると判示する。

これに対する検察官の所論は、右暴行の程度は原判示のように軽度なものではないとその事実誤認を主張するものである。

よつて審按するに、原審記録を精査し、当審における事実取調の結果を綜合すると、被告人の本件所為は原判決の認容するとおり金井校長に対する公務執行妨害罪を構成するに足るものであることは明らかであるが、被告人の暴行の程度については、本件の場合においても原判決の認定は控え目に過ぎ、その真相と評価とを誤つたものと認めざるを得ない。

以下これを説明すると、原審並に当審証人金井久七の証言、及び原審並に当審検証調書を綜合すると、金井校長は一一月二日午前八時二〇分頃小淵教頭に命じて午前一一時三〇分から重要事項の示達をするから職員は全部職員室に集合するよう指示させたところ、一一時一五分頃になつて持田、黒岩、生島の各教諭、及び被告人ら組合の代表者が八七〇号通達の示達の延期を求めて校長交渉と称し校長室に来つたが、校長は交渉には応じられない、示達終了後なら交渉に応ずると言つて交渉を拒否し、論議しているうち指定時刻を経過し、黒岩教諭と被告人の両名は中座し、校長室には持田、生島の両教諭のみ残り交渉継続中、一一時四〇分になつた頃教頭が立つて会議室に通ずる扉の所へ行き、大声で「職員室に集りなさい」「命令だ」と言つたので、校長は思わずそちらを振り向き、時間が一二時近くになつていたので示達を急ぎ、ノートに通達の書面を挾んで会議室に通ずる扉へ近かづき、右手で半ば開かれた扉の把手を握つて開き、右足を前にして中へ一歩入ろうとして覗いた瞬間、被告人から下から上へ突き上げるようにして胸と腹の境を突き飛ばされ、左足からバタバタと二、三歩後へよろめいて、危く倒れそうになつたが、後にあつた衝立のため踏み止まつて転倒は免かれたことが認められる。そして、右の事実は原審並に当審証人小淵正己、原審証人竹内武平の各証言によつてもこれを裏付けるに十分であるのみならず、弁護人申請の原審並に当審証人持田亘久の、場所の点を除き「松本先生は右手掌をやや開き、左手にノートを持つたまま校長を制止し、校長は一、二歩後退し、生島先生が丁度後にいて手を開いて支えようとするような手つきをしたが、校長の体には触れなかつた。自分は校長に『待つて下さい、まあいいじやないですか』と言つて校長と松本先生との中に入つて校長の方を向いて制止したら、校長は『松本さん暴力だ、訴えますよ』と言い、教頭を見て『証人になつて下さい』と頼んでいた」との供述、原審証人生島尚子の、場所の点を除き「松本先生が『まだ待つて下さい』と校長先生に言つた、その時校長先生が後の方に重心がちよつと移動した位に私の方に体が寄つてきたので、何ということなくパツと自分の目の前に手を出した。すると持田先生が『まあいいじやないか』と言つて松本先生との間に入つて校長先生の方を向いて『待つて下さい』と言つた」との証言があり、これらは両証人が組合員であるため前記の事情で非常に控え目な表現ではあるが、被告人の暴行が尋常でなかつたことを示している。

以上のとおり、校長は被告人に両手掌で突かれ後方へ二、三歩飛ばされたものであつて、若し同人が右手で扉の把手を握らず、また後に衝立がなかつたら、転倒したかもしれない状況であるから、右暴行の程度は、原判決の言うように校長は二、三歩後退し、身体の重心がやや後方に傾いた程度に過ぎず、被告人の行為はとくに粗野とも言えないというような軽微なものではなかつたことが明らかである。なお、原判決は小淵証言は校長のよろめくのを目撃していたという地点についての供述が曖昧で、信用できないと言うけれども、同証言によると、同証人は校長が被告人に突かれて同人の目前をバタバタと二、三歩よろめいた状況を正確に記憶しており、たとえその時の自分の立つていた地点に関する記憶に曖昧な点があつたとしても、右目撃事実に対する証言に信憑性がないとは言えない。また、原判決は組合側証人の証言を採り、竹内教諭が本件犯行を目撃することは時間的にみてあり得ないと説示しているけれども、竹内証言は校長が衝立に向つて倒れかかつてきた状況を仔細に供述しており、同証人が高校教員であることや、その年令、経歴等に照らし、全く目撃しないことを目撃した如く虚偽の証言をしたとは到底信じ難いから、同証言は信用するに足りる。一方、持田、生島両証言によると、犯行の場所は衝立の南側であるというのであるが、その点は前記金井、小淵、竹内の各証言に照らし措信し難い。

よつて、被告人が金井校長に加えた暴力の程度、及びその場所につき、原判決は事実を誤認した違法があり、その結果は後記するとおり判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検察官の論旨は理由がある。

三、公訴事実第四関係

原判決によると、群馬県職員労働組合連合会では、恒例の年末闘争の一環として昭和三九年一二月一〇日を期し「大幅賃上げ要求貫徹県職連決起集会」を挙行することを決し、高教組では右集会に三〇〇名を動員することとしたので、これを知つた同県教育委員会当局では、三〇〇名は県下高校教職員数の一割に該当し、三〇〇名動員の結果は校務の正常な運営を阻害することとなり争議行為となる虞れがあるとし、各学校長に対し当日これに参加するための年次有給休暇は一切認めないよう指示した。そこで、右指示を受けた金井校長は、一二月九日職員朝会の席上職員に対しその旨伝達したところ、沼女分会では右指示にかかわらず同校に対する組合本部からの割当の五名に対し、黒岩教諭と被告人の二名を集会に参加させることを決定し、同日午後二時四〇分頃から五時二五分頃までの間、校長室、或は会議室において、執行部員らが校長、及び教頭に対し右両名の年次有給休暇要求の交渉を行つた。しかし、校長及び教頭は当局の指示に従つて年次休暇を認めない態度に終始し、結局話合いのつかないまま午後五時二五分頃校長は交渉を打切り、教頭は職員室の自席に戻つて帰宅の準備にかかつたところ、黒岩教諭と被告人の両名は教頭を追つてその机附近に行き、更に年次休暇願書を手にして年休の要求をしたが、教頭はこれを拒否し帰宅の支度をした上、鞄を持つて職員室出入口に向け二、三歩前進し、黒岩教諭と被告人もこれにつれて教頭の方を向いたまま後退し、教頭の机から約二メートル離れた佐藤亘教諭の机附近に至つた際、被告人は教頭の帰宅を遮ろうとしてその右胸部附近に左手手掌を一回押し当てて同人を制止した。この時教頭は「これは暴力ですよ」と大声で叫び、被告人と黒岩教諭との間を通つて出入口附近に立つていた校長と足速に退出した、右被告人の制止によつて教頭の上体は多少後に傾いたことは認められるが、同人はこのため別に後退させられたようなことはなく、その制止行為は軽度のものであつた。なお、被告人の右制止行為の外はその前後において教頭に対し有形力の行使があつたことは証明がなく、また被告人の右行為によつて教頭に対し安静一週間位を要する右前胸部の傷害を与えたとの点も証明がないと認定した上、原判決は被告人の右制止行為は同人らの年休の承認をさせる目的で行われた暴行と認められるから、刑法第九五条第二項の職務強要罪の構成要件に該当すると判示する。

ところで、これに対する検察官の所論は、被告人は原判決の判示する佐藤亘教諭の机附近における暴行の外、その前に小淵教頭の机附近においても右手拳で同人の右前胸部を一回突いた事実があるのに、原判決が犯罪の証明なしとした点、検察官主張の二回目の暴行について、その暴行の程度はかなり強いものであつたにかかわらず、制止行為は軽度のものであると認定した点、及び被告人の右二回の暴行の結果、教頭に安静約一週間を要する右前胸部筋痛症の傷害を与えたことが証拠上明白であるのに、これを犯罪の証明なしとした点は、いずれも明らかに事実を誤認した違法があると主張する。

よつて按ずるに、原審並に当審証人小淵正己の証言、及び原審証人真柄真の証言、原審並に当審検証調書によると、校長並に教頭は一二月九日午後二時四〇分頃から校長室で、次いで会議室で組合執行部の役員達から翌一〇日の統一行動参加のため黒岩、松本両教諭の年次有給休暇の要求を受けたが、校長は県教育委員会からの示達で年休を認めることはできないとこれを拒否し、交渉は午後五時二〇分過ぎ頃まで続いたが、校長は結局年休は認めないこととして交渉を打切り、教頭は職員室の自席に戻り帰えり支度をしていると、黒岩教諭と被告人とが後を追つてきて、その机の前に立ちふさがり、なおも年休の要求を続けたが教頭はこれ以上話し合つても無駄と思い、鞄を持つて二人の間を抜けて帰えろうと机の脇に一歩踏み出すと、被告人は腰の辺に右手の握り拳を置き、突然それで教頭の右乳の下附近を強く突き、そのため同人の体が後へ突きかえされ机に太腿が当つて踏み止まつたこと、教頭は再び出入口に向つて歩き出し、同人の机から一つおいた次の佐藤亘教諭の机附近まで進んだ時、その進路に黒岩教諭と共に立ちふさがつていた被告人から再び左平手で胸を突かれ、上体が後に反つたので「暴力はやめろ」と言い、そのまま出入口附近にいた校長と共に玄関の方に退出したこと、翌一〇日朝になり教頭は前日第一回目に被告人から手拳で突かれた所が痛むので、夕刻南作次郎医師の診察を求めにゆき、別に治療は受けなかつたが、同医師が鎮痛剤をくれると言つたので、鎮痛剤はアリナミンが家にあると言つて断わり、爾来アリナミンを服用したことが認められ、原審並に当審証人医師南作次郎の証言によると、同人は一二月一〇日夕方、小淵教頭が来診し右前胸部を突かれて痛むというので、視診、触診、聴診をしたが異状はみられず、圧診をした結果右前胸部に痛みのあることがわかつた、余りひどくないので特別の治療は必要ないと考えアリナミンの服用を勧め、一週間か一〇日位で治るものと診断したことが認められる。そして、右の状況については職員室の出入口附近でこれを目撃した原審証人金井久七の証言とも符号する外、原審証人真柄真の「自分は教頭の机と向い合つた自分の机で帰えり支度をしていたら、教頭の机のそばに松本、黒岩の両先生が来て年休の許可を求め多少教頭と押し問答をしていた、私が首をあげると両人が少し動いているんで私はその場の雰囲気で自然立ち上つてしまい、直ぐ隣の机の方へ一、二歩動いて三人の方を向いた、その時出て行こうとする教頭を遮ぎろうとする松本、黒岩両先生の姿が見えたが、松本さんの手が小淵さんの胸の所にさわつていた、少し右後から見たところでは松本さんの左手が小淵さんの右胸の下あたりに当つていた」「教頭は出口へ向つて進む、それを松本先生が遮ぎる、それで手が当つて小淵さんは少し後に反るという格好に見えた、松本さんは少し前かがみになつていた」「翌朝小淵教頭が胸のところを押えて痛いと言つていたので、私は昨日のあれかなと感じた」との供述があり、これらは控え目ではあるが、前記小淵証言に符合するものである。原審証人本多宇十郎、原審並に当審証人黒岩勝は、被告人が小淵教頭に暴力を加えるのは見ていない、或いは被告人は暴力を加えるようなことはしなかつたと証言するが、右証言は前記各証拠に照らし、また右両証人が組合員であつて前記したような組合の方針に従い、被告人を庇おうとする立場にあることに照らし、たやすく信用し難い。原判決は、教頭は被告人の第二回目の暴行を受けた後に「これは暴力ですよ」と言つたのに、それより強い第一回目の暴力を受けたとき何の発言もしなかつたこと、及び教頭の前の机の真柄教諭が目撃していないことを理由に、第一回の暴行は認められないと言うけれども、第一回目の暴行の方が強かつたから必ずその時「暴力ですよ」と言うと限つたものではなく、引続き二回の暴行を受けたので、その時右のような発言をしたとしても決して不自然ではない。また、真柄証人は当時帰えり支度をしており、机の上には沢山の本などが並べてあるので、その向側の教頭の机の前での瞬間の出来事に気がつかないこともあり得るから、これらを以て第一回目の暴行が存在しないとは断定できない。もつとも、小淵教頭はその後昭和四〇年一月二五日と二月一四日に南医師へ胸部の痛みを訴え診察を求めに行き、同月一五日には群馬大学医学部附属病院の芹沢憲一医師の診断をも求めていることは記録上明らかであるが、昭和三九年一二月九日受傷の日から相当日数も経つており、その間生徒を引卒しスキーに行つた事実も認められるので、その当時の胸痛がなお本件に起因するかは疑わしく、その点は信用できないが、少くも前記のように本件暴行の結果一週間ないし一〇日間の安静を要する負傷を負つたことはこれを肯認するに十分である。

以上のとおり、原判決は被告人の暴行の回数、その程度、及び傷害の結果につき事実を誤認した違法があり、その結果は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

四、公訴事実第三関係

本件公訴事実は「被告人は昭和三九年一一月一九日午後四時三〇分頃、校長室北側廊下において、小淵教頭に対し黒岩教諭の年次有給休暇承認の要求を重ねたが、これを拒否されたので、右休暇を承認させるため両腕を組んだままその肘で同教頭の上腹部を一回突くの暴行を加え、以てその職務を強要したものである」というにあるが、原判決は次の理由で犯罪の証明がないとする。すなわち、同年一一月一九日昼休みに沼女分会執行部では翌二〇日に予定された高教組本部における支部、分会代表者会議に沼女分会から黒岩教諭を代表として派遣することを決定し、校長不在のため黒岩教諭は校長代行者である小淵教頭に年休の請求をしたところ、同人は翌二〇日には既に須佐義超教諭の公務出張、林竹子、加藤雪子、及び佐藤亘各教諭の年休が予定され、既に翌日の不在者は合計四名となつており、沼女高の場合は前記五パーセント規制によつて原則として三名の不在者しか認められない事情からこれを拒否し、午後四時四〇分頃に予て校長宅訪問の予定だつたので帰えり支度のため自席に戻つた、黒岩教諭はそこで教頭に年休を認められないまま帰えられることを恐れ、会議室にいた上野分会長、被告人外五名位の職員に対し「教頭が帰える」と告げ、その結果全員が教頭に黒岩教諭の年休を要求すべく同室から廊下に出たところ、既に帰えり支度を終え職員室から出て玄関に向つて廊下を西進してきた教頭と廊下で出会う態勢になつた、教頭は被告人らが南北に並ぶようにして近付いてくる姿を認め、同人らから乱暴されるかもしれないと即断し、廊下北側に上野分会長がいたので同人は年配者でもあり安全と思つて同人の方に足速に寄つて行つたところ、黒岩教諭らから年休の要求がありこれを拒否しつつ校長室前廊下で同人らと正対するや、その直後教頭は廻れ右してもと来た方向に引返えし、公仕室から西門を通つて上履のまま校長宅へ急いだこと、右正対した際被告人と教頭とが接触したことは認められないではないが、その態様及び程度などについて進んで如何なる態様の如何なる程度による有形力の行使があつたか不明であるから、本件公訴事実につき多分に疑を抱きつつも確信までには至らなかつたとの理由で犯罪の証明がないものとし、被告人を無罪とした。

これに対し、検察官の所論は、小淵証人は暴行の態様、及び程度について具体的、かつ一貫して整然と供述し、右は有形力の行使を受けた被害者自身の肉体的、心理的な知覚作用に基く体験であつて信用性が極めて高く、なおこれを裏付ける金井証言もあつて公訴事実の証明に何ら欠くるところがないのに、これを無視して犯罪の証明がないとした原判決は明らかに事実を誤認した違法があると主張する。

よつて按ずるに、原審証人小淵正己は「帰えるつもりで廊下を玄関の方へ歩いて行くと、廊下に南北に、上野、松本先生ら六人位が並んでいた、上野さんは北側におり年配者でもあり分会長でもあるから乱暴するようなことはないだろうと廊下の北側の方へ歩を進めた、そこで年休を認めろとの要求があつたので、私は駄目ですと拒否しながら廊下の北側の方へ近寄つて行くと、松本先生も北側へ寄つてきたのでこれは困つたなと思つた、そこで私は一旦立ち止ると、松本先生は腕を組んでいてその腕を組んだまま右か左かわからないが肘で私のみぞおちの所を突き上げるように一回突いてきた、そのため廊下の北側の腰板の所に窓の敷居がありそこに太腿のところが当つた、その時の突きかたは前回の一一月二日校長室における暴行より遙かに強く、あとで廊下を後向きになつて急ぐとき少し右足の腿に痛みを感じたと供述し、これによると暴行の態様、程度も明らかであり、公訴事実を肯認するに足るようである。

しかし、本件の場合にあつては、その場にいた直接の目撃者(総べて組合側証人ではあるが)は総べて被告人の暴行の事実を否認し、小淵証言を裏付けるものがなく、僅かに金井証言中に「教頭が上履のまま息をはずませて青い顔で私方に馳けこんできて『あとから松本先生と黒岩先生が追いかけて来るかもしれないから鍵をかけろ』と言うので鍵をかけさせた、その時今帰える時に廊下でピケを張られ、松本先生に胸だか腹だかを両腕で突かれ、ハメ板に腰をぶつけたとの報告があつた」との供述がある。しかしながら、当時被告人らが後から校長宅まで教頭を追いかけてくるような状況は全くなく、たとえ教頭が被告人らに恐怖し狼狽した事情があつたにせよ、校長に対する訴えは大袈裟に過ぎる表現であつて、そのような心境にあつた小淵証人の前記証言によつては、必ずしも被告人が意識的に強く小淵教頭を突いたものであるかどうか速断し難い。そして右は当審における事実取調の結果に照らしても変わらないから、原判決の認定は正常であり、当審においても犯罪の証明が十分であるとは認められない。論旨は理由がない。

第二点法令の解釈適用の誤りの主張について

所論によると、原判決は本件公訴事実第一、第二及び第四の事実につき、それらが公務執行妨害罪、或は職務強要罪の構成要件に該当することを認めながら、刑法第三五条を拡張解釈し実質的違法性阻却事由を設定適用し、その結果刑法の明文によらず違法性を否定し被告人を無罪としたものであつて、右は法令の解釈適用を誤つた違法がある。仮りに実質的違法性論を肯認する立場に立つても、実質的違法性阻却事由の判断基準としては原判決の掲げる目的の正当性、手段方法の相当性、補充性、及び法益の権衡性の外に、法益侵害の軽微性をも必要とするところ、本件はそのいずれの判断基準からしてもこれに該当せず、従つて本件が実質的違法性を欠くと認めた原判決は違法性の判断適用を誤つた違法があると主張する。

よつて按ずるに、原判決は公訴事実第一、第二が公務執行妨害罪の、同第四が職務強要罪の各構成要件に該当するものであることを認めること所論のとおりである、さらば、本件については一応違法性が具備するものと判断するのであるが、原判決が実質的違法性を欠くと認定したので進んでその点につき審按するに、刑法が違法性阻却事由として認めるものに刑法第三六条の正当防衛、同第三七条の緊急避難行為があり、本件がこれらに該当しないことは原判決もこれを容認するところである。そして、右以外の違法性阻却事由としては同法第三五条の法令又は正当の業務による行為があるのであるが、それ以外に法令の根拠なく濫りに違法性阻却事由を認められないことは検察官所論のとおりである。しかしながら、刑法第三五条の正当の業務によりなした行為とは、必ずしも厳格な意味の業務行為に限らず、業務行為以外にも法律秩序全体の精神に照らし正当行為があるとするのが輓近の学説、裁判例であることは当裁判所もこれを認めるところであり、原判決の言うところの実質的違法性論が右のことを意味しているとすれば、その実質的違法性が阻却されるか否かは、原判決の指摘するように少くとも(1) 目的の正当性、(2) 手段方法の相当性、(3) 補充性、及び(4) 法益の権衡性等の基準により法律、秩序全体の精神や、社会通念に従つてこれを判断すべきものであり、その一を欠くときは違法性は阻却されないものと解するのを相当とする。

一、手段方法の相当性について

原判決は手段方法の相当性につき、公訴事実第一に関しては本件小淵教頭に対する制止行為の態様は有形力の行使といつてもとくに粗野とはいえず、寧ろ穏当なものであり、その程度も一回的で軽度であるなどの事情を考慮するとその手段方法は相当であるとし、公訴事実第二に関しては本件金井校長に対する暴行の程度は教頭に対するよりも強度ではあるが、これにより校長は二、三歩後退して体の重心がやや後方に傾いた程度であつたこと、その態様も両肘を曲げたまま左手にノートを持ち右手を開いて両手を前に出し、一回だけ校長の胸部を押したもので、とくに粗野ともいえず、その手段方法は相当であるとし、公訴事実第四に関しては被告人は多少前屈みになり左肘を自分の体からやや離し、左腕を挙げてその手掌を教頭の右胸部附近に一回押し当てて制止し、そのため教頭の上体が多少後に傾いた程度であり、制止行為の態様、程度が有形力の行使の中でも軽度のものであるからその手段方法は相当であると判示する。

すなわち、この点で本件暴行の程度が問題となり、その程度如何によつて違法性の成否が決まることになるから按ずるに、既に第一点事実誤認の論旨の点で説示したとおり、被告人の校長、教頭に対する暴行の態様、程度は、原判決の言うように粗野でなく、軽度であつて穏当なものであつたとは到底認めることができない。ことに、本件は学校内で起つた教師間の出来事であり、被害者である校長、教頭の側には何ら暴力に訴える意思がなく、またそのような気配も窺われないのに被告人は一方的に三回にわたつて、いずれも突然相手方を突くという暴力行為に及んだものであり、その突きかたもかなり強く、そのうち一回はその結果被害者に傷害を与えたものである点等に鑑みると、社会通念上一般に放置し得る程軽微な暴力の行使であるとは首肯し難く、原判決の言うようにその動機、目的に照らし相当な手段方法であるとは認められない。してみると、この一点からしても原判決は誤認した事実を前提とし、被告人の本件暴行に実質的違法性を欠くとするものであるから、違法性に関する法令の解釈適用を誤つた違法があると言わなければならない。

しかしながら、原判決は実質的違法性を論ずるに当つて手段方法の正当性の外、目的の正当性、補充性、及び法益の権衡性について詳細説示し、なお右に関連し八七〇号通達、五パーセント規制、及び校長交渉の当否について詳論し、また弁護人は本件被告人の各所為は可罰的違法性を欠くものであつて本来公務執行妨害罪、職務強要罪の構成要件に該当しないと主張するから、これらの点についても当裁判所の判断を示すこととする。

二、目的の正当性について

(1)  原判決は公訴事実第一、第二の被告人の各所為につき、被告人の動機、目的が正当であつたことを論証するために<イ>八七〇号通達、<ロ>五パーセント規制、<ハ>団体交渉の当否の三点について説示しているから、以下これらの点について判断を示すと

<イ>  原判決は、八七〇号通達は学校職員が勤務時間中に職員団体の用務に従うため学校を離れることを原則として禁止するものであるが、そもそも職員が組合用務のため勤務時間中に現場を離脱することは労働契約の本質から考え原則として許されないものであり、地方公務員法第三五条もこの趣旨に副うものであるとし、八七〇号通達の正当性を認めながら、一方、群馬県下では昭和二三年以来職員が組合用務のため出張することを「組合出張」と称し出勤扱い(年次有給休暇の扱いとは異る)とすることが慣行となり、県教育委員会当局もこれを黙認していたのであるから、組合出張を規制するためには一片の通達によることなく、少くとも組合と十分な事前の協議をすることが望ましいと説示する。しかしながら、地方公務員法第三五条によると職員は法律又は条例に特別の定がある場合の外、職務に専念する義務があるから、例えば労働基準法第三九条による年次有給休暇、或は群馬県昭和二六年条例第五号職務に専念する義務の特例に関する条例第二条三号によりもつぱら職員団体の業務に従事する場合(専従者)などの外、濫りにその職場を離れることは許されないのであるから、組合出張の如きは正に職務専念義務に違反する違法行為といわなければならない。そして、当審証人田村遂の証言によつても組合出張が慣行として当局によつて認められたことはないから、仮りに、従来組合出張が黙認されていたとしても、そのような違法状態を通達によつて是正するにつき予め組合と話し合いをしなければならない必要は認められないから、八七〇号通達は正当であり、従つて金井校長が職員に対しこれを示達しようとし、また小淵教頭が校長の意を体し右示達のため職員に向つて職員室に集合を指示しようとしたのは、いずれも極めて正当、適切な職務行為であると言わなければならない。

<ロ>  原判決は、五パーセント規制につき群馬県においては群馬県立学校職員の勤務時間その他勤務条件に関する条例第八条により教職員は年間二〇日の年次有給休暇が認められているところ、五パーセント規制の結果は右年次休暇権を不当に制限する結果となるとして、たとえ二〇日間という法の要請を損わないとしても、年休権の性質は労働者が当然に有する一定日数の有給休暇につきその時季を指定する権利であるから、その請求があつた場合、使用者が時季変更権を行使しない限り有給休暇は指定された日に決定されるものである。従つて使用者は具体的、個別的に校務支障の有無を判断して変更権を行使すべきであるから、予め一般的に五パーセントという基準を設けて休暇請求権を規制し、当局の欲する時季(休業日)にとることを要求する五パーセント規制は違法であると説示する。

しかしながら、原審並に当審証人中野敏宗の証言、群馬県教育委員会教育長田村遂の回答書(記録四三六七丁)によると、五パーセント規制は正常授業時間の確保を目的とするものであつて、年次有給休暇に限らず公務出張等を含め、学校の不在職員を一日五パーセントの範囲内に規制しようとする一の行政指導であつて、それによつて職員の年休権を制限しようとする意図のないことが認められる。そして、五パーセントの数字を算出した根拠は、文部省で決めた年間における最低履習単位を修得するに必要な時間を基礎とし、群馬県立高校における余裕率(一日の余裕人員の全教員数に対する割合)を算出した結果、一日当り四パーセントないし六パーセントの値が出たので、その中間をとり五パーセントを以て規制の規準としたこと、そして五パーセント規制と年休権との関係については、実績に現われた群馬県立高校における一年間の一人平均年休消化日数である四、五日によつて計算すると、一日当りの年休消化率は約二パーセントとなるから、五パーセント規制で年休は十分賄えるという当局の考えかたである。しかしながら、年間二〇日の年休権を完全に行使すると仮定し、これを年間出勤日の二四七日だけで消化すると一日当りの消化率は約八パーセントとなり、もしこれを年間出勤日の外、休業日六九日にも割当て計三一六日で消化するときは、一日当りの消化率は六、六パーセントとなる。これに年休の外公務出張、病欠等の場合を加算すると五パーセント規制では二〇日間の年休は賄えない結果となることが認められる。しかし、五パーセント規制は前記のとおり一の行政指導であつて、校務の支障を来す場合の一応の基準を示したに過ぎず、各学校長が個々の場合に具体的に校務の支障の有無を勘按し、校務に支障のない場合には五パーセントを越えて年次有給休暇を認めることは差し支えなく、またそうすべきであつて、五パーセント規制によつて職員の年休権を侵害できないことは言うまでもない。現に、小淵証言によると沼女高では五パーセント規制によるときは一日二、一五人の不在者しか認められないのに、同年一一月二〇日には公務出張者一名、年休者三名計四名の不在者が許可され、一二月一〇日には公務出張者三名、年休者一名合計四名の不在者が許可されている事実が認められる。その他、前記のように現実の年休消化率が極めて低いことをも勘按すると、五パーセント規制は原判決のいうように必ずしも労働基準法第三九条、及び群馬県立高等学校職員の勤務時間その他勤務条件に関する条例第八条の趣旨に反し違法不当であるとまでは断定し難い。

<ハ>  更に、原判決は校長室における沼女分会役員からの八七〇号通達を延期することを求める校長交渉において、校長並に教頭は午前一一時から一一時四〇分までの僅か四〇分の話合いで交渉を一方的に打切り、示達を強行しようとしたものであるから、右打切り行為は職員団体の行う交渉に関する群馬県条例第三条に規定する交渉は誠意と責任を以て速やかな円満解決を計るべき旨の規定に違反し、不当であると説示する。しかしながら、原審並に当審証人金井証言によると、金井校長は一〇月二八日県教育委員会当局から八七〇号通達を一〇月三〇日以降なるべく早く職員に示達するよう指示を受けたが、沼女高では一〇月三一日、一一月一日の両日が文化祭であつた関係から延引し、一一月二日午前一一時三〇分から職員室において示達することとし、同日午前八時二〇分頃小淵教頭をして職員に対しその旨伝達させたことが明らかである。一方、既に組合本部から八七〇号通達の内容等を知らされていた被告人ら分会執行部員は、午前一一時一五分頃から校長に示達の延期を求めたが校長は教育長の命令であるから示達の延期はできない、示達後なら交渉に応ずると主張し、両者の話合いがつかず示達の予定時刻一一時三〇分を経過し、一一時四〇分頃になり、なお当日正午から職員の慰労会も予定されていたので交渉の打切りをしたことが認められる。右のような経緯、交渉内容、校長の権限、及び八七〇号通達、五パーセント規制の性格等に照らすと、校長、教頭の交渉打切りは已むを得ないものであつて、誠実な交渉義務に違反する不当なものとは認められない。

右のとおりであるから、八七〇号通達には事前の協議が必要であるとし、五パーセント規制は法律及び条例の趣旨に違背し、本件交渉の打切りは誠実な交渉義務違反の不当な措置であるとし、これらを前提とし小淵教頭、金井校長の指示、或は示達行為を制止しようとした被告人の行為の動機、目的は法律秩序全体の精神、社会正義の理念に照らし正当であるとする原判決には賛成することができない。

(2)  原判決は、公訴事実第四の被告人の所為の動機、目的の正当性について、群馬県教育委員会当局は一二月一〇日に予定された県職連の大幅賃上げ要求貫徹のための決起集会へ県高教組が職員の約一割に相当する三〇〇名の動員を指令したのは校務の正常な運営を阻害し争議行為の虞れがあるとして、県立各高校長に対し職員が右集会に参加するため年次有給休暇を要求するときは一切これを認めないように指示したけれども、一二月一〇日の決起集会が争議目的のもとに行われるとは確認することができないのみならず、年次休暇は個別的、具体的に検討して校務に支障を及ぼすか否かを判断して許否を決すべきものであるから、全面的に年休を認めないのは労働基準法第三九条、及び前記勤務条件に関する条例八条の趣旨に反し著しく不当である。沼女分会では同校に割当てられた動員数が五名であつたのに二名に絞つて年休を請求したのに、校長及び教頭が当局の不当な指示を固執して被告人らの要求を全く聞き容れなかつた措置は不当である、被告人並に黒岩の両名は県教育委員会当局、及び校長、教頭らから不当に年休を拒否され、なんとかこれを認めて貰うべく要求し、そのために帰えり支度をして職員室から出て行こうとした教頭を制止し、年休権の実現を図ろうとしたものであるから、被告人の行為の動機、目的は正当であると説示する。

しかしながら、教師の職務の性格から判断すると、一割動員の如きは正常な授業計画に多大の支障を及ぼすことが明らかであり、校務の運営を阻害するものであるから、計画的にこれを行うときは地方公務員法第三七条によつて禁止された争議行為となる虞れが大きいと言わなければならない、されば県教育委員会当局がこれを以て争議行為の虞れがあると認めたのは必しも不当とは言えない、そして争議行為に参加する目的で年次有給休暇を利用することは年休権の趣旨に照らし許されないところであるから、当局として一般的に集会参加者に年休を与えないよう指導することも不当ではない。小淵証言によると、沼女分会においては組合本部の指令に基づき右集会に二名を参加させることとし、一二月九日午後二時四〇分頃から同五時二五分頃まで約二時間四五分にわたつて、被告人ら執行部員、その他分会員二〇名位が校長、教頭に対し、交々、被告人と黒岩教諭に対する年休の承認を求めて交渉を続けたが、校長は当局の前記指示に基づきその理由を説明して要求を拒否し、話合いがつかず交渉を打切つたのであるが、両名はなおも教頭の後を追つて、帰宅しようとして自席に戻つた同人に年休を要求し、教頭は翌一二月一〇日には既に四人(但し、内一名は事務職員)の不在者があることも指摘してこれを拒否したのに、執拗に承認を強要したものであるから、被告人の動機、目的が法律秩序全体の精神に鑑み正当であるとする原判決には賛同することができない。

被告人は昭和三八年四月始めて沼女高教諭となつた者で、社会経験も浅く、当時の同高校における組合活動の雰囲気に巻きこまれ、法律、条例、通達等の趣旨を誤解した結果、自分の行動の動機、目的が正当であると信ずるに至つたであろうことはこれを推察するに難くないのであるが、たとえ被告人が主観的にそう信じたからといつて、その動機、目的が正当化され、実質的違法性を欠くに至るものでないことは自明である。

三、補充性について

原判決は、公訴事実第一、第二につき、労働者たる被告人らの勤務条件に重大な関連のある不当な八七〇号通達の示達が、十分な説明のなされないまま強行されることが目前に切迫し、これを防止するにこれに代わる適当な手段方法を見出すことが著しく困難であつたことが認められ、また、公訴事実第四につき、当局並に校長の不当な見解により、自己の年休権がまさに侵害されようとする緊急の状態にあり、教頭が帰宅してしまうと右の侵害が現実となるので、当時としてはこれに代わる適当な手段方法を見出すことは著しく困難であつたと説示する。

しかしながら、校長が八七〇号通達を職員に対し示達したからといつて、直ちに被告人の労働者としての権利が現実に侵害されるわけのものではないから、その主張する権利防止について暴力に訴える外、他に方法がなかつたとは到底解し難い。また、被告人及び黒岩教諭の年休権の請求といえども、これを認められないときは反対を押して決起集会に出席することも不可能ではなく、暴力に代わる他の手段方法がなかつたとは首肯し難い。

四、法益の権衡性について

最後に、原判決は法益の権衡性につき、公訴事実第一、第二に関しては、被告人の制止行為によつて侵害された公務保護と、校長並に教頭の身体並に自由の各法益は、被告人の本件動機、目的の保護に比較すると軽少であるとし、公訴事実第四の事実に関しては、被告人の制止行為によつて侵害された公務の適正と、教頭の身体の安全の各法益は、被告人の本件動機、目的の保護に比較し軽少であると説示する。

しかしながら、県立高等学校における正常な授業計画の遂行と、学校経営の秩序確立とを目的として、職員の服務の厳正な遂行を促がす八七〇号通達を職員に示達すべき校長並に教頭の公務、及び同人らの身体の安全と自由に関する法益と、これに対して被告人が守ろうとした組合出張という違法な慣行、五パーセント規制による年休権の侵害の虞れ(但し、それは現在する侵害ではない)、及び右八七〇号通達等の示達延期を求める校長交渉権に関する法益とを比較考量した場合、前者の法益の方が大であることはくどく説明するまでもなく明らかであろう。また、職員が正常な授業計画を阻害し違法な労働争議となる虞れのある集会に参加するため年次休暇を利用しようとするのを阻止しようとした教頭の公務、及び同人の身体の安全と自由に関する法益と、これに対し被告人が守ろうとした地方公務員に禁止された争議行為となる虞れのある集会に参加する権利の保護とを比較考量するとき、前者の法益が大であることは、これまた言を用いずして明らかであろう。これに反して右の場合、いずれも後者の法益が大であるとする原判決には到底賛同し難い。

以上のとおりであるから、被告人の本件各所為は原判決の設定した実質的違法性の判断基準に照らしても、原判決のいうように法律秩序を乱すものでなく、社会的に許容される正当行為であるとは容認し難く、原判決が被告人の本件所為は実質的違法性を欠き罪とならないとしたのは違法性に関する法律の解釈適用を誤つた違法があり、右はもとより判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検察官の論旨は理由がある。

なお、弁護人は原判決が認定した(一)昭和三九年一一月二日校長室扉附近で、被告人が小淵教頭を肘を曲げたまま一回その胸部に右手掌を押し当てて制止した行為、(二)引続き校長室で金井校長を両肘を曲げたまま左手にノートを持ち右手を開いて両手を前に出し一回同人の胸部を押して制止した行為、(三)同年一二月九日職員室で、小淵教頭の胸部に左手掌を一回押し当てて制止した行為は、いずれも軽微かつ日常的な制止行為であり、形式的には一応有形力の行使に当るといつても、公務執行妨害罪、ないし職務強要罪における暴行の観念が予想する行為典型からは程遠いものであり、同法条の構成要件が予想する可罰的程度の違法性を帯びるに至らないから、構成要件該当性がないと主張する。

しかしながら、被告人の校長、教頭に対する各暴行は、既に述べたとおり決して所論のように軽微なものではなく、これを刑法にいう暴行と認めるに十分であるから、それぞれ刑法第九五条第一項第二項の構成要件に該当する。所論はその前提において事実に反し、これを採用することができない。

よつて、本件公訴事実中第一、第二及び第四に関する検察官の控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八二条第三八〇条により原判決中右の部分を破棄し、同法第四〇〇条但し書に則り当裁判所において直ちに次のとおり自判することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は昭和三八年四月沼田市東倉内町七五三番地所在の群馬県立沼田女子高等学校に教諭として奉職し、同県立高等学校職員を以て組織する同県高等学校職員組合沼田女子高等学校分会(沼女分会と略称する)の昭和三九年度教文兼情宣部長をしていた者であるが

第一、群馬県教育委員会当局においては、県立学校の職員が勤務時間中に組合用務で勤務学校を離れることが多かつたため、職員に職務専念義務を遵守させ、正常な服務を確立することによつて授業時間の確保を計ろうと意図し、昭和三九年一〇月二三日付で県教育委員会教育長田村遂名義により各県立学校長宛に「県立学校職員の服務の監督について」(教第八七〇号通達)と題する通達を発し、同年一〇月二八日各県立高等学校長を集めてその趣旨内容を説明し、これを各学校に帰任の上は、なるべく速かに職員に示達するよう指示し、なおその機会に、右通達に関連して当局から個別的指示として日々の各学校における不在職員を、全体職員数の五パーセント以内に止めるべき旨の指示をし、これを受けた沼田女子高等学校長金井久七は同年一一月二日午前一一時三〇分から同校職員室において職員に示達することとし、教頭小淵正己に命じ各職員に右時刻に職員室に集合することを伝達させた。ところが、右八七〇号通達並に五パーセント規制に反対し、その示達の延期を図る被告人を含む沼女分会執行部員数名は、午前一一時過ぎから校長室において金井校長に対し示達の延期を要求し交渉を続け、示達予定時刻を経過するに至つた。そこで、金井校長は一一時四〇分頃になり右交渉を打切り、八七〇号通達を示達することを決意し、その意を受けた小淵教頭は校長室から隣の会議室に通ずる扉を開け、会議室にいた職員に向つて職員室に集合するように指示したところ、会議室内にいた被告人は右の指示を聞くや否や、教頭小淵正己(当時四八才)に近付き、同人が更に指示を続けるのを妨げる目的で、いきなり右手掌で同人の胸部を一回突く暴行を加え、以て同人の職務の執行を妨害し、

第二、同日同時刻頃、同校校長金井久七(当時五五才)が、小淵教頭に引き続き八七〇号通達を職員に示達するため、校長室から会議室に通ずる前記扉附近に行き会議室内を覗くと、被告人は同校長の右示達を妨げる目的を以て、いきなり両手手掌で同人の胸部を一回突き飛ばす暴行を加え、以てその職務の執行を妨害し

第三、群馬県教育委員会当局は、県立高等学校職員組合が昭和三九年一二月一〇日予定した「大巾賃上げ要求貫徹県職連決起集会」に、教職員総数の一割に相当する三〇〇名の動員を指令したのを知り、一割動員は校務の正当な運営を阻害し争議行為となる虞れがありとし、県立各学校長に対し当日右集会に参加するための年次有給休暇は一切認めないよう指示し、沼田女子高校においても金井校長からその旨を職員に伝達したところ、沼女分会では黒岩勝教諭及び被告人を集合に参加させることとし、同年一二月九日金井校長、並に小淵教頭に対し両名の年次有給休暇の承認を求めたところ、前記の理由によつて拒否され、被告人はなおも同日午後五時三〇分頃同校職員室において小淵正己教頭に対し自己及び黒岩教諭の年次休暇の承認を要求し、重ねてこれを拒否されたので、右休暇を承認させる目的を以て、同人の胸部を右手手拳で一回、続いて左手手掌で一回突く暴行を加え、よつて同人に対し安静約一週間を要する右前胸部筋痛症の傷害を負わせ、以てその職務の執行を強要したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示第一、第二の各所為は刑法第九五条第一項に、同第三の所為中職務強要の点は同法第九五条第二項第一項、同傷害の点は同法第二〇四条罰金等臨時措置法第二条第三条に各該当するから、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、判示第三の職務強要と傷害の各罪は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段第一〇条により重い傷害罪の刑に従い、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文第一〇条により最も重い第三の罪につき定めた刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処することとし、被告人は教職の身でありながら学校内で三回にわたり先輩教員に対し暴行をふるつた者で、その動機においてたとえ酌量すべきものがあつたとしても犯情は軽くないものがあるが、一方暴行並に傷害の程度は左程重大とは認められず、被告人は既に本件により県教育委員会において懲戒免職の処分を受けたものである点などを考慮し、刑法第二五条第一項を適用しこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとする。

本件公訴事実中第三に関する点については、前に説示したとおり検察官の控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却し、原審並に当審訴訟費用は同法第一八一条第一項本文を適用し全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 山田鷹之助 判事 目黒太郎 判事 中久喜俊世)

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